横浜市立矢部小学校へ昨年に引続き湯澤講師を派遣しました。


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2016年12月22日、横浜市立矢部小学校に昨年に引続き湯澤三郎講師を派遣しました。6年生120人を対象に「国際人になるためのキャリア教育」第3回目の授業を行いました。

湯澤講師略歴: 1940年  横浜生まれ。 栄光学園中高校を経て早大政経学部’63年卒。日本貿易振興会(ジェトロ)入会。米州課長、海外調査部長等を経て理事就任。この間、スペイン(研修)、エルサルバドル、ペルー(現JBIC出向)、米国(ロサンゼルス)、ブラジル駐在。理事退任後、在エルサルバドル特命全権大使(1999~2003) 振興センター チーフアドバイザー)を経て、2011年4月から(一財)国際貿易投資研究所専務理事兼世界経済評論編集長。JICA客員専門員。対エチオピア政府との政策対話参加(5回渡航)。目下3年計画の対アフリカ・中南米・アジア向けJICA輸出振興研修講師。

以下、湯澤講師の出講報告です。

矢部小学校は当会の講師派遣委員長の阿部清氏が同校の「絆の会」会長を務めるというご縁の学校です。矢部小学校は公立では珍しい、米国の小学校と生徒間ホームステイの交流をしている意欲的な学校です。今回が3回目の出講になりました。校長先生が黒木先生から平川先生に交代されました。

校門で阿部さんと落合い、校長室で平川校長にご挨拶をし、「6年生には色々な職業の方にお話しをして頂いており、将来のキャリア教育の一環としています」というお話を伺いました。今回はその総合的なお話しという位置づけだそうです。

講堂では生徒さんが既に床に座っていました。幸い当日は冬日には珍しい暖かな陽気で、床に座った生徒さんも寒そうではありません。

今回はA4の写真を紙芝居風に何枚か用意しました。

一人ひとりはみんな違っていても、それぞれの役割が社会で必ずある。スプーン一杯の土に含まれる1億から10億の微生物でもそれぞれ役割がある。去年ノーベル賞をもらった大村 智さんは、そのなかから一つの微生物がアフリカのオコンセルカという失明をもたらす感染症に効くことを発見し、2億人を救った。一つの微生物でさえ役割があれば、万物の霊長である人間だって、だれでも役割があると思いませんか、と皆さんの顔を覗き込みました。その時に大村さんの写真を掲げて皆さんに聞きました。「この人誰か知っていますか?」1,2人が手を挙げました。

線虫の例も話しました。害虫だと言われて強力な農薬ガスを土中に噴霧して除去した途端、紋羽病という野菜には不治の病気が蔓延しました。実は線虫は紋羽菌を食べる良い虫だったのです。その役割を人間は知らなかったのです。(線虫の写真を掲げる)

宇宙のどんな小さな存在には必ずその役割が必ずあります。人も例外ではないのです。

では自分は一体どんな役割があるのだろう。それを中学校から本格的に見つけてゆくのです。自分がどういう人かは残念ながら自分では気づかないことの方が多いのです。人間は小宇宙だと有名な科学者言っています。人間が分かれば宇宙が分かるということです。

それほど自分を知ることが難しいということでもあり、また一方では大変価値があるということにもなります。

他人が自分の隠れた良い部分を引き出してくれたり、あるできごとをきっかけに分かったりしてきます。サッカーの長友選手は「これまでの自分の人生に起きたことで無意味なものは一つもなかった」と言っています。だから自分の周りにいる誰でもが大変有り難い存在なのです。勉強は自分の中にある興味を引き出してくれます。どういう分野に自分は面白さを感じるのか、自分らしさはそこから始まります。自分に起きることでもその時は分からないけれども、必ず自分には意味のあることだと考えてもいいでしょう。

次に、「何になりたいか」、もし少しでも決まっていたら、ずっとそれを思い続けることです。「思いは必ず実現する」と言ったのはアメリカの鉄鋼王カーネギーで、彼は「宇宙には成功の法則がある」と言って、それを若いナポレオン・ヒルという人に書かせました。

日本でも有名な京セラやドコモを立ち上げ、日本航空の破たんを立て直した経営者として有名な稲盛和夫さんという方が、似たようなことを「生き方」という本に書いています。

「事業でもなんでも始める前に、それが自分や会社の利益のためにするのか、あるいは人や社会のために役立つからするのか、徹底的に考えて、後者の場合のみやることにしています。」と言い、「他人や社会のために役立てば必ず宇宙にはそれを後押ししてくれる力があります」と断言しています。

信じても信じなくてもいいのですが、僕自身は信じたい気持ちの方が強いと言えます。 自分は将来何になるかは、今やグローバル化に時代で商品も人も自由に国境を超える時代になってきているので、仕事の舞台は日本に限る必要はありません。案外自分の役割が外国にあるのかもしれません。

世界では日本と日本人の評判は一般的にとても良いのです。日本人というだけで信用される場合も少なくありません。和食レストランだけでも世界で9万店近い店があります。僕のペルーでの知人ですし職人だったKさんという方は、中東のお金持ちがパーティーをする時、ペルーから招かれて宴会食や寿司を任されています。20年ほど前ロサンゼルスにいた時、既にアメリカ人の寿司の板前さんがいましたが、もはや外国人の板さんは普通になっています。

一般の会社は海外と必ずなんらかの関係をもった活動をしています。ある調査では会社の8割が「グローバル人材が足りない」と言っています。どういう人がグローバル人材なのだろうかと思いますか? そういう調査をした会社があります。駐在員とその「上司の両方から回答をもらいました。結論を簡単に言うと、「前向きに考えてやる気のある人」なら現地でうまく行くということです。英語も大事、マナーも大事、現地人を理解しようとする気持ちも大事等々、数え上げれば望ましい条件は色々ですが、それらを兼ね備えるなど、とても現実には無理です。本人は「自分はまだ駄目だなあ」と考える人は2年目くらいまでは多いようですが、上司からみると「そんなに早くうまくできるわけはない」と分かっています。

現地の困難を考えると、結局うまくやってゆけるかどうかは「やる気」さえあれば、ということなのです。「やる気」だったら自分は大丈夫と思いませんか?

どうでしょうか。外国で働いてみようという人はどのくらいいますか?(1~2割が手を挙げる)

「何になる」と同時に、あるいはもっと大事なことがあります。

それは何をやるにしても、一人ではできないと理解する必要があります。自分を助けてくれる人たちがいて、初めてできる、できたと考えなければいけないのです。総理大臣でも大統領でも、ノーベル賞受賞者でも誰でも、自分一人では何もできないと考えて間違いではありません。そういう考えをしない、できない人は高い地位に就いたとしても失敗します。いわば他人との人間関係が何をやるにしてとても大事だし、それが成功の秘訣と言ってもいいくらいです。理化学研究所という日本の最上級の研究所の松本さんという理事長は「学問は真実をめぐる人間関係である」とさえ言っています。

では他人との関わり、人間関係をうまくするにはどうしたらよいのでしょうか。

残念ながらこの大事なことは学校や大学でも、会社に入ってからも誰も教えてくれません。 だから頭がよく、成績がよくても失敗する人、心を病んでしまう人が実に多いのです。 人間関係を別の言葉でいうと「コミュニケーション能力」といってもいいでしょう。これに関する本は沢山出ています。1冊読んでも頭が却って混乱して、ではどうしたらいいのか分からなくなることもあります。それに本を読む時間もあまりありません。

コミュニケーションとは他人との共通部分を進んで増やしてゆこうとする姿勢のことです。 誰でも違うし、違いに意味があるからこそ、共通部分を進んで見つけて行くことが大事になります。この能力はすぐに高めるのは困難で、日ごろの習慣を身につけてゆくしかありません。

その習慣を簡単に言えば「お早う、おめでとう、有難う、ごめん、宜しく、どうぞ」とう短い言葉にまとまります。これなら年齢を問わず、誰でもいつでも始められます。この習慣を身に着ければ、コミュニケーションで失敗することはありません。

「お早う」は挨拶をすること。こちらから挨拶の声をかけることが相手を明るくします。 「おめでとう」は相手をほめること。「元気そうだね」だけでもいいのです。相手のいいところを言葉で伝えることです。「有難う」「ごめん」はそのとおり、素直に伝えることが大事です。「どうぞ」というのはこちらから何かをしてあげることを意味します。まず自分から相手にという気持ちを表すことです。

言葉は皆やさしいのですが、これを毎日心がけることはそれほど易しいことではないというのが段々分かってきます。だから日ごろからの繰り返しが大事で、習慣になると言葉で表すことが以前より難しくなくなります。ぜひ明日から試してください。

最後にもう一つ。「何になりたいか」を考えた時に、人を大事にして、人に助けられて初めてなれるというお話が今触れたコミュニケーションです。

コミュニケーションと同時に心がけなければいけないことがあります。それは「何になりたいか」と並んで「どういう人になりたいか」という目標です。これも学校で教えてくれることではなく、両親や周りの人、できごとの影響を受けて次第に自分のうちに出来上がってゆくものかもしれません。

しかし、早くからそういう目標がはっきりしていれば、それだけ心がけの方向や行いも早めに変わります。他人から学ぶことも多くなり、自分が成長することになります。

こうした目標を僕自身、振り返って考えてみたのが70歳過ぎてからでした。一体どういう人を目指して僕はこれまで生きてきたのだろうかと振り返ってみました。きっかけはある会社の部長さんへの研修でお話しの機会を頂いた時でした。

そこでこれまで沢山の方との出会いがあり、お付き合いがありましたが、そのなかで素晴らしいと思った何人かを思い出し、なぜそうした人たちは素晴らしいのか、尊敬しているのか考えてみました。そのなかには外国人もいます。

時間がないのでそのうちの一人石井次郎さんという方を簡単に紹介します。(写真を掲げる)

知多半島の常滑の夜間高校を出てヨーロッパに貧乏旅行をします。冬の夜、あと5分以内に誰かが拾ってくれないと死ぬなと思いながら、雪のふる暗い道に立ちつくしていました。幸い通りがかった車に拾われて豪華な邸宅で親戚を集めてパーティーまで開いてくれました。デンマークでカメラ屋さんに努めた石井さんは、その頃(1960年代)ヨーロッパ各地でホームレスまがいの日本人の若者があるという話を聞いては、探しに行って鉄道の切符代を渡して自宅に来て泊まるように勧めます。

「いつまでもいていいですよ。どこか行こうと決まったら、この箱のなかのお金をいくらでも持ってゆきなさい。ただどこへゆくかは書き残して欲しい」と言って、お金の入ったダンボールを置きました。そうするとある時は20人くらい若者が泊まっていたそうです。食費のお金を稼ぐために公園でホットドッグを売ったり、劇場のクロークのアルバイトをして毎日夜遅くまで働きました。

今は香港にいます。香港から近い中国のシンセンという町に、1989年に日本の中小企業が中国に進出するための工場団地テクノパークを仲間に呼びかけてつくりました。「機械設備だけ持ってくれば、据え付けも材料の仕入れ先、女子工員の募集など全部手配してあげますから心配いりません」という日本では行き詰まった中小企業にはとても有難い構想を実現しました。しかも、創設以来、石井さんは深夜までテクノパークに入った会社のために働きながら、一円の報酬ももらっていないのです。

私は石井さんのことを「自分のためにお金と時間を使わない人。全て人のために使う人」と思って尊敬しています。この人のことは「望郷と決別を」という文春文庫の本に書かれていますから、アマゾンで探していつか読んでみてください。

石井さんを含めて、例えば私が尊敬する5人に共通しているものは何かを考えてみました。 「爽やかで優しく、逃げずあきらめない」がその結論です。

僕は毎日すこしでもその通りに生きたいと思っていますが、易しくはないです。でも毎日色々な人に会い、助けられて生きていますから、なんとか毎日少しでも「爽やかで優しく、逃げずあきらめない」で生きられればと自分に言い聞かせてます。

皆さんはどう思いますか。「爽やかで優しく、逃げずあきらめない」に加える言葉は何でしょう。この言葉は具体的にどういう意味を毎日の出会いと出来事のなかでもっているのでしょう。少しずつ考えてゆくと自分なりの発見があるでしょう。年齢に関係なく、いつからでも始められ、心がければ必ずそれだけ自分の良さが引き出されてゆきます。

中学校生活も素晴らしいものになります。どうか大きな夢と希望を持って中学に入ってください。

以上

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