「国際人をめざす会」2016年秋の交流会が開催されました。

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2016年10月5日、「国際人をめざす会」秋の交流会が霞が関ビル34階の霞会館で、劇団若獅子代表の笠原章さんを講師にお招きし、「新国劇100年」というテーマで開かれました。国際人をめざす会関係が39人、劇団若獅子関係が21人の計60人が参加しました。

沢田正二郎が新国劇を創立してから、来年で100年、解散して30年となります。笠原さんは元新国劇俳優で解散後新たに劇団を結成し、「王将」「大菩薩峠」「白野弁十郎」など新国劇の名作を上演してきました。トークショーで新国劇の神髄を語ってもらいました。

会の冒頭、羽織袴姿で登場した笠原さんは、月形半平太の一場面の台詞「春雨じゃ、濡れてゆこう」を情感たっぷりに聞かせました。

トークショーの前に、司会の当会 越村理事が新国劇の歴史を簡単に紹介。沢田正二郎が坪内逍遥門下で、松井須磨子ともに新劇の俳優修業をしたことや大正末期から昭和初めに絶大な人気を博しながら36歳で病死、解散の危機を島田正吾と辰巳柳太郎の二枚看板で乗り越えたこと、そして戦後も黄金期はあったが、次第に「男の芝居」が振るわなくなり、ついに70年の歴史に幕を下ろしたことなどを紹介しました。

以下、 越村理事の報告です。

笠原さんは大阪出身。お父さんが熱狂的な新国劇ファンで幼いころから新国劇の芝居に親しみました。新国劇には入団試験があり、最初は大阪弁を理由に不合格。次の年に「矯正」して晴れて劇団員に。大山克己さんの書生から、あこがれの辰巳柳太郎さんの弟子になりました。新国劇の稽古とはひたすら先輩たちの芸を盗むこと、手取り足取り教えてもらうなどということはなかったそうですが、20代初めには役がつきました。「辰巳先生はひらめき型、島田先生は努力型、島田先生は酒豪なのに、辰巳先生は一滴も飲めない」など、身近に接した人だけが知る、2人の名優の貴重なエピソードを話しました。

新国劇解散作った劇団も来年で結成30年になります。11月3日から6日まで三越劇場で「沓掛時次郎」を上演すると紹介しました。この作品は、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」で知られる長谷川伸の劇作家デビュー作で、沢田正二郎が昭和3年末に帝劇で初演、翌年2月の再演の最中に病気で倒れたのでした。「男の哀感がにじむ、とても良い作品です」と笠原さんは思いを込めて話しました。2017年は9月26日から30日まで、市川猿之助さんの賛助出演で「月形半平太」「国定忠治」の記念公演があります。笠原さんはこの二大演目への意気込みを語ってトークショーを終えました。

その後、2人の劇団員とともに、「国定忠治」の有名な天神山の一場面を台詞で再現し喝采を浴びました。さらに、劇団若獅子からTシャツ(5枚)のプレゼントがあり、じゃんけんで希望者が決まりました。

懇談会が始まる前に袴姿の3人の劇団員が殺陣の披露し、滅多に見られない迫力ある実演に注目が集まりました。乾杯の音頭を取った山田会長は「参加者60人はこれまでの交流会の最多記録」と挨拶。ハワイアンバンドの奏でる音楽と優美なフラダンスで、会場は終始なごやかなムードがいっぱいでした。

講演会、懇親会でのスナップ写真をスライドショーでご覧になれます。 こちらから

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