横浜市立並木第四小学校に湯澤講師を派遣しました

2017年2月27日、横浜市立並木第四小学校に湯澤三郎講師を派遣しました。6年生2クラス、59人を対象に「国際人になるためのキャリア教育」の一環として「中学で夢と希望を大きく膨らまそう」というテーマで講演を行いました。

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湯澤講師略歴: 1940年  横浜生まれ。 栄光学園中高校を経て早大政経学部’63年卒。日本貿易振興会(ジェトロ)入会。米州課長、海外調査部長等を経て理事就任。この間、スペイン(研修)、エルサルバドル、ペルー(現JBIC出向)、米国(ロサンゼルス)、ブラジル駐在。理事退任後、在エルサルバドル特命全権大使(1999~2003) 振興センター チーフアドバイザー)を経て、2011年4月から(一財)国際貿易投資研究所専務理事兼世界経済評論編集長。JICA客員専門員。対エチオピア政府との政策対話参加(5回渡航)。目下3年計画の対アフリカ・中南米・アジア向けJICA輸出振興研修講師。

以下、湯澤講師の出講報告です。

京急金沢八景駅で下車して数分先のシーサイドラインで13分、幸浦駅に並木第4小学校はあります。講師派遣委員長の阿部さんと駅で落ち合い、学校に向かいました。緑濃い駅を挟んで片側は工場群、もう片側は住宅街が広がります。その昔八景駅から目と鼻の先で潮干狩りをした風景とは大違いです。校長室で田中校長先生、山口副校長先生にご挨拶し、暫時学校についてお話を伺いました。阿部さんが矢部小学校で学校支援組域「きずな」の会をリーダーとして立ち上げた当時、田中先生が教育委員会の担当部署におりました。お話が弾みます。並木第4小学校には、一時1000人を超えた生徒さんがいましたが、今はその三分の一ほど。創立34年の小学校のドラマを感じます。近隣では統合された小学校もあるそうです。

今日のお話はキャリア教育の一環とか。「自分の時代にはキャリア教育などはなかったなあ」と思いながら、教室に入りました。60名ほどの6年生が既に床に座っていました。冷えた日だったので、ちょっと寒そうで心配しました。

お話の概要は次のとおりです。(終わってから校長室で給食をご馳走になりました。ご飯に納豆、ししゃも2匹、野菜スープ、牛乳という健康メニューでお腹が一杯になりました。ご馳走様でした。)

これから中学に入って「何をやってみたいか決まっている人」と問いかけました。手を挙げたのは10人ほど。次に「将来何になりたいか決めている人」と聞きました。殆ど全員が手を挙げました。「勉強が楽しみな人?」と聞いたら誰も手を挙げませんでした。

(将来何になりたいか、については前の週に卒業感謝の集いがあり、各自が発表したためと後で校長先生から伺いました。)

何になりたいか、何をやってみたいか、自分でもわからない時、中学校の新しい科目は自分が面白いと思う舞台を広げてくれるのです。言うならば、「ヘエー」「ホー」「ウワー」という機会が新しい科目で見つかる可能性があるということです。ヘエーとは不思議に思うもの、ホーとは面白がるもの、ウワーとは驚きです。大げさな形で出てくるわけではなく、ほんのちょっとした「芽」みたいなものででてきます。それに気がつくかどうか。忙しくしていると気が付かず、見過ごしてしまいます。スマホに夢中になっていると、せっかく自分らしさを発揮できる芽を見逃してしまいます。

中学ではこのヘー、ホー、ウワーを探すためといってもいいのです。

皆さんは将来社会人になります。社会人は法律を守り、義務と責任を知り、人と助け合って住みよい、より良い社会にするために働く人です。お勤めをしないで子育てをするお母さんも立派な社会人です。なんとなく卒業して何となく働く人も多いのですが、それでもいい。しかし、もし自分の好きな仕事をする社会人になれば、その人は一層生き生きと輝き、その結果社会も元気になります。だからできれば目標を持ち、その仕事をできれば人も社会も生き生きと輝きます。

人は皆違っています。違うことに意味があります。金子みすゞという詩人に似たような詩があります。(2月生まれの女子生徒さんに「わたしと小鳥とすずと」という詩を読んでもらいました。「・・・・みんなちがって、みんないい」)

大自然も同じように違いに意味があると教えてくれます。

大村 智さん(写真を見せて)はノーベル賞をもらいました。伊豆のゴルフ場近くの土のなかから、オコンセルカという感染症に効く微生物を見つけて、3億人のアフリカ人が失明や足の切断にさらされる病気から救う薬をつくりました。一さじのなかに数億の色んな微生物がいて、そのなかからオコンセルカに効く一つの微生物を発見したのです。

もう一つの例は線虫です。弱っていそうな野菜を引っこ抜くと根にこぶがあり、そこに1ミリ以下の線虫がいました。これが犯人だといって強力な燻蒸ガスを地中に噴霧して退治しました。ところが暫くして、葉がかれてポロポロ落ちるようになりました。紋羽病という植物の不治の病にかかったのでした。ところが線虫が駆除されていない植物は紋羽病にならない。調べてみると線虫は紋羽病の菌を食べていたのです。人間はそうと知らずに線虫は悪者だとしてやっつけてしまったわけです。最近では九州大学の研究で、線虫は人がガンにかかっているかどうか、96%の確率で知らせてくれる貴重な働きさえもっていることがわかりました。線虫は数千メートルの海底から上は高さ数千メートルの山まで2万種類が生息しているといわれ、1平方メートルの土に100万匹くらいはいると言われています。

そんな線虫の一匹でもすごい働き、役割を持っている。

皆さんは微生物や線虫とは比べ物にならない素晴らしい存在です。誰でも例外なく社会で自分ならではの役割があると思いませんか。必ず自分らしさを生かす役割があります。自分らしさを中学から見つけてゆくのです。

これは自分では意外に分かりません。大自然が教え、人が教えてくれます。

お金持ちになりたいと思う人もいるでしょう。そういう人がいて新聞に書いていました。

将来お金もちになって、南の島のヤシの木陰にハンモックを吊って美味しいお酒を飲むんだという夢を持っていました。そして運よくお金持ちになって南の島でハンモックを吊って夢をかなえたのです。そのいきさつを新聞に書いてその最後に言いました。「でもつまらなかった。」

お金持ちになっても面白くなかった。人間はどうすれば満足するのかについて、ある有名な学者は「人の幸福は他人への奉仕にある」と言っています。人のために何かをする、喜んでもらうことによって、初めて自分も満足したり、満たされるのでしょう。

何かをしたい、何になりたいと考える時に、「人のためになるかな、誰かが喜んでくれるかな」と考えてみてもよいでしょう。

その場所は必ずしも日本ではないかもしれません。海外で働く人は沢山いますが、今必ずしも海外で働きたいと思っている人は多くないのです。一般に会社では3割くらいの人しか希望しないと言われています。英語ができないからでしょうか。でも調査によると、海外事務所の上司の意見では、海外で働く社員に必要な要素は「前向き思考の頑張り屋」だと言います。英語がよくできる、頭がいいというのは必ずしも一番の条件ではないというのです。前向き思考というのは、られても下を向くのではなく、「自分の足りない点を言ってくれた」と考えて将来に生かそうと考えることです。学校の成績はよくないけど、頑張ることはできそうだと考えませんか。それが今、多くの会社が求めている人なのです。今、8割の会社がそうした「国際人材」が社内で不足していると答えています。ぜひ皆さん、将来海外で働いてみようと心がけてください。

国内でも海外でも、大事なのは何かをするには自分だけではできない、必ず誰かの協力や助けがないとできません。これはどんな人にとっても当てはまります。ノーベル賞の大村さんだって、スタッフが一生懸命に1年間2500もの検体を顕微鏡で調べてくれたから見つかったのです。総理大臣や大統領も一人では何もできません。

人と一緒に仕事を進めてゆくためには人間関係、コミュニケーションの能力が必要になります。これはなかなか学校でも会社でも教えてくれない。でもどこの国や職業、場所にかかわらず大切なのは、コミュニケーション能力です。色々な本が出ています。でも大事な点を易しくまとめると「おはよう、おめでとう、ありがとう、ごめん、よろしく、どうぞ」と6語になります。人に対してこの6語の気持ちと行いは、明日あるいは今日からでもできます。年齢に関係なく、早く習慣づければそれだけ素晴らし人になれます。

最後にもう一つ大事なことをお話しします。何になりたいかと同時にどういう人になりたいかを考えておくということです。

私の敬愛する人たちの中から二人の例を紹介します。(各写真を紹介して)

ジョン・ブライアントさんという黒人は高校卒でホームレスまでやった人です。1992年のロサンゼルスの暴動後、いち早くNPOを立ち上げて地元金融機関を説得してお金を集めて政府や市、州より早く焼き討ちの被災店に再建の融資を実現しました。25歳ころのことです。今や歴代4人の大統領の下で委員会の委員長を務め、弱い立場の人たちのためにオペレ-ション・ホープというNPOが2000億円を集めて活動しています。

もうひとり、石井次郎さんは愛知県常滑市の夜間工業高校の卒業後、貯金をはたいてヨーロッパに行きました。雪の降るデンマークの夜、寒さに凍えながら漸く通りかかった車に拾われ、それからユダヤ人が経営するカメラ修理店に努めます。抜群の修理の腕前を発揮して社長より高い給料をもらいましたが、それを当時、日本から留学してきたものの、落ちこぼれてお金もなくなってホームレス同様の生活をしている若者を助けるために使ったのです。周辺の国にそういう若者がいる噂を聞くと尋ねて探し出し、汽車賃を渡して言います。「私の家に来てこれからどうするか、ゆっくり考えてみたらどうだろうか」。こうして石井さんの家には一時20人くらいそういう若者がいました。その人たちを食べさせるために、カメラ修理の仕事の後、公園でソーセージを売ったり、劇場でクローク係をしたりしてお金を稼ぎました。そのお金をダンボ-ルに入れて箱に書きました。「この箱からいくら持っていってもいいです。けれどこれからどこへ行くかだけは書いてください。」

石井さんは自分のために時間とお金を使わない人でした。

今は香港に住んでいますが、1989年に日本の中小企業のために「機械だけを持ってくれば、据え付けも原材料の仕入れ先も、工場で働く人の採用も全て面倒をみてあげます」というユニークなテクノセンターという工業団地を立ち上げました。これで助かった会社は少なくありません。日本から大学生がひっきりなしに訪ねては、寄宿生活をしながら中国人の女子工員さんと一緒に働き、同じお昼を食べます。「3年働けば故郷の両親に沢山プレゼントできる」のを楽しみに、毎日笑顔で働く女子工員さんの様子に、日本の学生さんはとても感動するそうです。リピーターの学生さんも少なくないそうです。

この他内外で僕が出会った尊敬する人たちは、どうして素晴らしいのだろうと考えました。その人たちに共通していたのは「爽やかで優しく、逃げず諦めない」という姿でした。

僕もそういう人になりたいと毎日心がけています。

どういう人になりたいかという目標は、忘れがちになりますが、何になりたいかと同じくらい大事です。「優しい」人というのは強い人です。強くなければ優しくなれません。

自分なりにどういう人になりたいか、今から考えることはとても大切です。ぜひ素晴らしい自分の将来を描いてみてください。 (おわり)

湯澤 三郎

生徒感想文

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