横浜市立並木第四小学校へ湯澤講師を派遣しました。

3月4日、横浜市立並木第四小学校へ湯澤三郎講師を派遣し、卒業を間近に控えた6年生に「世界に必ずある、私/僕を必要とする人と場所」というテーマで講話を行いました。

湯澤講師略歴

1940年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。ジェトロ理事、エルサルバドル大使、エジプト通産大臣輸出振興アドバイザーを歴任、現在 国際貿易投資研究所専務理事。海外駐在体験国:スペイン、米国、ブラジル、ペルー、エルサルバドル、エジプト。

以下、湯澤講師の出講報告です。

思いがけない電車の遅延で、阿部講師派遣委員長との横浜シーサイドライン11時幸浦駅待ち合わせに駆けつけたのは11時20分でした。幸い並木第4小学校は駅に近く、何とか11時半の講演開始に滑り込みました。講演のテーマは「世界に必ずある私/僕を必要とする人と場所」です。お話を次の通り「中学で始まる自分で考え、自分を見つける旅」から始めました。

「中学入学は楽しみか、大変か」という問いかけには、なんと大半が「大変だ」と答えた。次の問い「自分のことが分かっているか、いないか」には殆どが「分かっていない」方に手を挙げた。中学ではその分からない自分を探す第1歩。知らなかった自分を発見して行くことになる。そのためには自分で考えることが大事になる。皆と同じようにとか、前と同じようにとか、言われたからやる、規則だからやるというのは、自分でそう考えたからやるというのとは違う。人から言われた、皆がやっているから、規則だからというのを、自分でもう一度考えて、その通りだと思ったらそうしてもいいが、考えずにやるのは自分らしさを失うことになる。

中学では世界が広くなる。ぜひ新体験、新発見を大事にして、自分がそこで変わってゆくのだと考えて欲しい。「へえー!はっ!ほんと!すごい!」の瞬間に自分らしさの芽が潜んでいる。こういう瞬間とは、人から来る場合、出来事から来る場合、本・TV・映画・ネットなどのメディアから来る場合、大自然・大宇宙から来る場合がある。サッカーの長友選手は「自分の身に起きたこと全てに意味があった」と語っている。その時分からなくても後になってその意味が分かることがよくある。

人はそれぞれ皆違う。宇宙にあるものも全て同じものはない。違うことに意味がある。それぞれの役割がある。宇宙の研究ではこれまで分かったのはたった3%だとある学者が言っている。人も違うことに意味があるので、みんなと同じようにという考えからは進歩が生まれない。新発明、発見のヒントは違う考えを擦り合わせて生まれることが多い。だから周りを見て手を挙げる、意見があるのに黙っているというのでは、お互いの成長発展にはならない。自分らしさを考えている人は、他人と違うことに自信を持ってよい。 世界は人・モノの動きが活発で以前よりどんどん狭くなっている。英語は常識になり、日本のアニメ、和食は世界どこでも評判だ。ラーメン屋さんに就職しても美容室で働こうと思っても、またどこの会社に入っても、今や必ず外国とつながっている。国内で外国人と一緒に働いたり、外国で働くことになったりする。英語が苦手だと心配しなくてよい。

流ちょうに喋る必要はない。世界で話される英語は様々だ。日本人は日本人英語を喋ることになるが、中身があれば皆聞き耳を立ててくれる。英語の半分は度胸と慣れだと言ってもよい。慣れるには、例えば新聞全頁からカタカナ文字を拾って、日本語になっている英語をみてみよう。かなりの英語の数になっている。その単語を増やしてゆくだけでも慣れるために有効だろう。

 

世界から見た日本は、昔(室町~江戸・明治時代)から今までそう変わっていない。清潔、正確、安全、親切など。室町時代に来た西欧の宣教師たちは「日本人は清潔で聡明で、秩序を守って社会は安全。天国に最も近い国だ」と手紙に書いている。最近の外国人観光客も、安全だし、電車は分刻みに正確、食べ物は美味しいし、便利だといっている。  日本人はグループで仕事をする能力に秀で、組織のために犠牲を払うのを厭わない、常に工夫・進歩を考えているなどと称賛されているが、一方では「何を考えているか分からない、自分の意見を言わない」などと考えられ、日本人や日本の会社と仕事をするのは難しいと言われている。 こうした中で世界の人々とこれから一層関わってゆくことになれば、どういう心がけが必要になるだろう。

外国人と私たちが違うのは当たり前。違いのなかに意味があるので、同じだったら発展はない。だから違いを大事にすること。違いを尊重する態度が必要だ。「違い」から教えられることは沢山ある。でも違いだけを意識してはいけない。「同じ」部分はそれ以上に多いと考えることが必要だ。誰でも親切は嬉しいし、健康でいたい、働いて稼いで家族が食べられることが大事だ、子供の教育はぜひ大切にしたいし、毎日無事に暮らしたいという気持ちは国を問わず変わらない。人間としての「同じ」を共感することが交流の基礎になるものだ。

そういう交流、コミュニケーションを外国人と上手に図るためにはどうしたらいいだろうか。「身心健やかに」などとよく言われるとおり、人は体と心からなっている。体は食べ物を食べて育ち、健康のために体操やトレーニングをする。では心は何を食べて、どういうトレーニングをしているのだろう。心だって自然に育つものではなく、健やかに育つには相応の訓練が必要だろう。

心の食べ物は「優しさと笑顔」ではないだろうか。優しさと笑顔を食べて心は育つと考えてみよう。そのためには、誰かから優しさと笑顔をもらうためには、まず自分から誰かに優しくしてあげ、笑顔をプレゼントすることが最初でなければならない。まず人に与えることによって、その倍、3倍の優しさと笑顔を頂ける。1日1回でもいいから誰かに実行してみてはどうだろうか。人に近づいて行き、交流するコミュニケーションを難しく考える必要はない。「お早う、いいね、ありがとう、ごめん、よろしく」を言葉と態度で表すよう、1日1回から心がけるだけでよい。決して易しいことではないが、その小さな努力をしているかいないかがとても大きな意味を後で持ってくる。この努力は外国人との交流でとても大事な基本になる。

自分は何になりたい、こういう仕事をしてみたいという希望と夢を皆さん持っていると思う。ぜひその希望と夢を熱く持ち続けて頂きたい。でも希望と夢の実現には人々の応援なしにはありえない。どんな偉い人、首相でもノーベル賞受賞者でも一人では何もできない。多くの人たちの支援を受けて初めて立派な業績を残すことができる。そのためには、周りの人々から「あの人のためだったら働こう、応援しよう」と思われないといい仕事はできない。その意味で「何になりたい」ということと同時に、あるいはそれ以上に「どういう人になりたい」という目標を考えることが大事だ。僕がこれまでに出会ったなかで「すごい」と思った人は多くない。そうした人たちに共通していたのは「爽やかで優しく、逃げずあきらめない」という生き方だった。どれ一つとっても決して易しくない。でも僕も死ぬまで少しでも近づけるよう、目標に掲げて毎日少しでも努力してみようと思っている。 皆さんもこれをヒントに「どういう人になりたいか」を自分なりに考えてみて欲しい。 小さな努力をそのために続ける人は、自然に輝いてくる。輝く人を周りの人々は押し上げてくれる。中学はその大事な第1歩を記す世界だ。

 

凡そこのようなお話をした後、校長室で田中校長先生、阿部さんと一緒にフライ、スープ、牛乳とぶどうパンというメニューの給食をご馳走になりました。給食にかけるコストが上がったそうで、かなり大きめのパンを頂きながらなるほどと思いました。牛乳のパックはリサイクルのため、解体して平にする作業をしなければなりません。出来栄えはやはり不細工で破れがあちこち。さすが校長先生のは綺麗な1枚になっていました。数日後早速生徒さんたちから感想文が送られて来ました。生徒さんのフレッシュな気持ちが溢れていて、頭が下がる感想文ばかりでした。生徒さんたちが中学校で伸び伸びと自分らしさを発揮して大きく成長することを心からお祈りしました。

湯澤 三郎

生徒感想文