横浜市立矢部小学校へ湯澤講師を派遣しました。

3月14日、横浜市立矢部小学校へ湯澤三郎講師を派遣し、「世界に必ずある、私/僕を必要とする人・場所」というテーマで卒業を間近に控えた6年生に講話を行いました。

湯澤講師略歴

1940年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。ジェトロ理事、エルサルバドル大使、エジプト通産大臣輸出振興アドバイザーを歴任、現在 国際貿易投資研究所専務理事。海外駐在体験国:スペイン、米国、ブラジル、ペルー、エルサルバドル、エジプト。

 

以下、湯澤講師の出講報告です。

3月14日朝、横浜市営地下鉄踊場駅で下車し、矢部小学校に向かいました。阿部講師派遣委員長は学校の近くにお住まいで、校門前8時40分の待ち合わせでした。実は阿部さんは矢部小学校を応援する地域団体「きずな」の会長として、この学校とは深い絆で結ばれています。ワシントン郊外のパブリック・スクールとの生徒交流を長年推進し続けるなどの実績が評価され、昨年12月には文部科学大臣から「きずな」が表彰されました。神奈川県内1000余の公立校から2校選ばれたうちの1校ですから、大変な名誉です。地域学校協働活動推進に関わる大臣表彰で、評価の要素には今回のような「国際人をめざす会」講師の講演もほんの少し入っているかもしれません。校長室での平川校長先生と阿部さんのお話が弾みます。

今回は卒業を間近に控えた6年生で、お話は並木第4小学校と同じ「世界に必ずある私/僕を必要とする人と場所」です。代表の生徒さんたちのお迎えで校長室から新築の体育館に向かい、次のように話し始めました。

 

「中学へ行くのでわくわく楽しみだという人手を挙げて」という問いかけに、挙がった手はほんの2,3人。「では大変だなあと思う人」の呼びかけにはどっと手が挙がった。やはり生徒さんたちは進学に「冷めている」。

「では自分のいいところ、悪いところ。いわゆる長所、短所が分かっていると思う人は?」という質問に、挙がった手は3,4人。

皆さんは大正解。だから自分を知るためにまず中学から「自分を知る旅」を始める。

自分を知る旅は死ぬまで続くけれど、それで分かったことにはならないかもしれない。案外自分より他人の方が自分を知っていることがある。小学校では先生の授業を聞いてその通り覚えておくのが勉強の中心だったけれど、中学からは自分で考える勉強が始まる。考えて徐々に自分が成長する。成長のきっかけは、人から、出来事から、本やテレビ、映画などから、そして大自然・大宇宙から色んな形でやってくる。「ヘエー、ほんと! すごい!」と思ったら、そこに自分らしい興味、関心があるので、その驚きを大事にしよう。人の言葉や周りで起きることに注意深くしていないと、折角の自分らしさ発見の機会を失う。サッカーの長友選手は、「自分の身の回りで起きたことには全て意味があった」と言っているくらいだ。

自分の考えをめぐらしてゆく度に、自分らしさを身に着けることになる。

この世の中にあるものは二つとして同じものはない。違うことにすごい意味がある。人間も同じ。他人と自分が違うことに大きな意味と価値がある。同じ意見の人が集まっても進歩や発見は生まれない。会社の会議で課長さん、部長さんが言ったことを聞いて、誰も自分の違う意見を言わなければ、会社が大失敗することがある。偉い人だからいつも正しいわけではないからだ。規則も昔できたものは今は当てはまらないことも。だから規則だからその通りすればいいというわけでなく、自分の頭でもう一度規則通りやっていいかどうか考えてからやることにしよう。

「KYという言葉を聞いたことがある?」そう、周りの空気を読むという意味。これは周りの人たちと同じようにしていた方がよいと考え方だ。しかし、それで日本は随分外国人とビジネスをやるときに損をしている。「自分の意見を言わない日本人」という評判が外国ではある。外国の大学でも討論で日本人の学生は黙っている人が目立つと言われる。討論は皆の意見を出し合ってよりよい結論を生み出してゆく共同作業だと理解されているから、討論で黙っていることは、 共同作業に参加しないと解釈される。自分の意見は、日ごろ考える癖がないと生まれない。

学校の成績をみせてくれと言われることは大きくなるにつれて少なくなる。就職試験の時に小学校、中学校の成績を訊かれることはない。就職試験でよく訊かれるのは自分の長所、短所だと言われる。

30分勉強して100点取れた人と2時間勉強して70点だった人がいたとしよう。成績簿には100点の人はいい評価になり、70点の人は低くなる。だが、社会で大事なってゆくのは「一生懸命になれるかどうか」であって、小中校で100点とれたかどうかではない。だから自分のなかでの成績簿を大事にして欲しい。自分が一生懸命頑張ったかどうかは、自分しか知らない。だから自分で自分の成績簿を内に作って自分らしくできたかどうかを見つめて欲しい。これは自分しかわからない。けれどもその努力は決して無駄にならない。

「一生懸命になれる人」はどんな問題に対しても「一生懸命にやる」ことが苦にならなくなっている。それが素晴しい宝物、その人らしさになっている。

話上手の人は得する、目立っていいと思うかもしれない。でも話し上手より、むしろ「聞き上手」の方が難しい。今はスマホ時代で誰でも「話したい」と思っていて、静かに聞ける人は少ない。人の話を聞けるというのはすごく価値のある「その人らしさ」になっている。

コミュニケーションはまず人の話を聞くことから始まるのだ。

今や日本は世界と関わらなければ生きてゆけない。会社の売り上げの6割が外国からになっており、国内で働く外国人も身の回りで目立つようになった。アメリカに駐在する日本人1人は100人のアメリカ人に指示して働いてもらう勘定になっている。経験では流ちょうな英語を話せる必要はない。日本人は「間違ってはいけない。下手な英語を話したら恥ずかしい」と思いがちだが、そんなことはない。どの国でもその国の英語の癖があり、日本人の英語はましの方だと思う。要は「度胸と慣れ」だと思ってもよい。「慣れ」には例えば、新聞紙のカタカナを拾い集めてみると、意外に英語が日本語になっていると分かる。そうしたカタカナ増やしてゆけば、英語慣れもどんどん進歩するだろう。好きな英語の歌を憶えたり、英語の俳句に興味をもってみるという方法もある。

世界は日本と日本人に大きな興味、関心を寄せている。昨年訪日した3,120万人の外国人の中には、日本のアニメをTVなどで観て日本旅行の夢を見ていた人も多く、若い外国人とはアニメの話が共通の話題になる。外国人は日本の清潔さ、正確さ、安全、親切であり、食べ物は美味しいし便利だと驚いている。集団の仕事や工夫、周りの迷惑を常に考慮する行動などは日本人独特だと言っている。

でもその反面、先にも言ったとおり、「何を考えているか分からない、自分の意見を言わない、日本人だけでなんでも決めたがる」などと見られており、日本とのビジネスは易しくないと考えている。

そうしたなかで、皆さんのようにこれからの日本人はどうしたらいいか。外国人と仕事をする時に分かるのは、「違い」だ。違うのは当たり前だが、違いばかりを気にしてはいけない。「違いを尊重し、同じを喜ぶ」心構えが大事である。違うから、相手は自分にないものをもっているから、学ぶものも多いと思わなければいけない。日本のやり方で世界に通じると思ってはいけない。「同じ」ものは、一言でいえば「暮らし」そのもの。親切、いたわり、健康、教育、食、環境など家族やコミュニティーを巡る問題は、洋の東西を問わず全く同じ。人間関係の難しさも全く同じ。

だから「何になる、なりたい」と同様に「どういう人になりたいか」を考えることが大事だ。それを忘れた人は偉くなって大失敗することが多い。

「身心健やかに」と言われる通り、人は体と心からできている。身体を動物、植物の命を食べて成長する。では心は何を食べて成長するのだろう。僕は「心は人の優しさと笑顔」を食べて成長すると思っている。でも優しさと笑顔は待っていて与えられるものではない。

頂くためには、まず自分が人に優しさと笑顔を与えないと自分に返ってこない。差し出す笑顔と優しさは、後で2倍、3倍になって自分に戻り心を育て、自分らしさを作ってくれる。だから毎日誰かに笑顔、優しさを揚げられないかちょっと気を付けてみよう。。

「どういう人になりたいか」については、僕の経験から一つヒント、提案をしたい。これまで出会った素晴らしい人たちは、どうしてあんなに素晴らしいのだろうかと考えた結論は、「爽やかで優しく、逃げず諦めない」姿だった。爽やかとはどういうことだろうか、自分で考えて欲しい。優しいとはどういうことだろうか、考えて欲しい。どれ一つをとっても決して簡単ではない。自分では死ぬまで「これでよい」ということはないだろうと思っている。

皆さんが「何になりたい」と思ったら、ぜひ一生懸命思い続けて欲しい。だけれど、それは自分一人で成し遂げられるわけではなく、多くの人たちの応援があって実現できることだということも知っていて欲しい。もし皆さんが「どういう人になりたい」と考えて、自分なりに小さな努力を毎日重ねることができれば、必ずその人は輝く。輝く人を周囲の人は押し上げ、「何になりたい」を応援してくれる。

お話を終えて生徒さんたちの大拍手を頂きながら、体育館を後にして校長室に向かいました。お話の間、平川校長先生は生徒さんたちの後ろでずっと立ち続けながら、聞いていてくださいました。卒業式は1週間後だそうです。生徒さんたちが大きな夢と希望を持ち続けて行くよう、心から願わずにはいられませんでした。

 

生徒感想文