横浜市立汲沢小学校に湯澤講師を派遣しました。

3月7日、横浜市立汲沢小学校に湯澤三郎講師を派遣し、卒業を控えた6年生に【羽ばたこう、わくわくする「出会い」が待つ世界へ!】というテーマで講演を行いました。

湯澤三郎講師略歴:(一般財団法人 国際貿易投資研究所 (ITI) 顧問) 1940年、横浜生まれ。   栄光学園中学・高校から早稲田大学 政治経済学部へ進学。 1963年、日本貿易振興会 (JETRO) に入職、米州課長、海外調査部長等を経て理事に就任。 この間、スペイン、エルサルバドル、ペルー、米国、ブラジル駐在。 エジプト通産大臣輸出振興アドバイザーを歴任。 1999年、在エルサルバドル特命全権大使、2003年帰国しJETRO 特別顧問。 2011年(一財)国際貿易投資研究所 専務理事 兼 『世界経済評論』編集長。 2019年 理事長、2021年7月より現職。 NPO法人 国際人をめざす会 講師(海外駐在20年超の経験)

以下、湯澤講師の出講報告です。

今年(24年)も阿部派遣委員長のお声がけに応えて、横浜市の市立3校(汲沢小学校、矢部小学校、下野庭小学校)から講師派遣依頼がありました。阿部委員長から横浜市の公立小学校への出前授業のご相談があったのは、数えてみたら今年で8年目になりました。最初にお話しした矢部小学校の6年生は、社会人か大学生になっているなあと思いながら、3校の6年生に45分ずつお話ししました。 昨年の主題は「自分らしさ」の発見と発揮で、今年も主題を引き継いでいましたが、「自分らしさ」を発見し、育てるのは数々の「出会い」だという点を強調することとし、概要次のようなお話をしました。

  

「何になりたいか決まっている人?」との問いかけに、今年はこれまでにない3割ほどの生徒さんの手が上がりました。「人工衛星の探査機製造者」「学校の先生」「野球選手」等々。でもやはり「まだ決まっていない」生徒さんの割合は半数以上でした。

夢や希望に向かって「自分らしくやりたい」そして「輝きたい」というのは誰でもの願いです。桜は日本には数百万本あるに違いないけれど、枝ぶりが全て違う。違う枝ぶりが咲き誇るから見事な美しさが現れる。人も同じ。一人一人がそれぞれ違う枝ぶりのような輝きを見せて初めて世の中は明るく、豊かで秩序ある姿を現すことになる。「自分らしい枝ぶり」に育つのは、たくさんの出会いによって自分らしさが引き出され、育てられるから。

「自分らしさ」を妨げるのは何だろう?いじめ、嘘、仲たがい、悪口、脅し、喧嘩・・。殊に戦争はその全てを含む「自分らしさ」を邪魔するもの。もっと身近なことで考えると、過度の好き嫌いや周囲を見て手を挙げるような同調への傾きも自分らしさを気づかないうちに損なう原因になる。

人々はどうやって「自分らしさ」を発見し、育ててきたのだろう?

メディアに登場した人たちの例を見てみよう。

「あのちゃん」は小3年からずっといじめに遭った。中学はほぼ保健室で過ごし、高校でもなじめずに中退。家で引きこもりの日々を過ごしたけれど、「自分らしく」生きたいという強い願いを持ち続け、ある日芸能プロダクションの募集に応募したのをきっかけに今に至っている。(プロダクションとの出会い)

黒柳徹子さんは小学1年1学期で退学させられた。奔放すぎる行動が授業の妨げと言われた。だが転校先(トモエ学園)の小林宗作校長からの「君は本当はいい子なんだよ」という言葉(との出会い)が黒柳さん(トットちゃん)の心の支えになり今の黒柳さんに育てた。

ノーベル化学賞を受賞した福井謙一さんの出会いは「ファーブルの昆虫記」という本だった。この本を読んで理系に進もうと決め、化学を志したのは叔父さんからの「数学が好きだったら化学をやるといい」という言葉(との出会い)だった。

Slim計画で月への探査機の脚を製造した鋳物メーカー・コイワイ(株)の小岩井さんは、少年時代アメリカのアポロ計画に憧れた(TVを通しての出会い)。偶然JAXA(宇宙航空研究開発機構)から探査機の脚製造の提案が持ち込まれ、数年の共同研究の末に完成、夢を実現した。

17歳の世界最年少ノーベル賞(平和賞)受賞者パキスタンのマララさんは、スワート村の勉強好きなごく普通の小学生だった。しかし、村がタリバンというイスラム過激派と政府軍との戦場になって多くの人々が殺され、内外のメディアが取材に殺到した。マララさんは偶々CNNやBBCのインタビューを受けて「私は勉強したい」と訴え続けた。タリバンは女性の教育は小学校までしか認めなかった。軽トラックで友達との下校時、マララさんは銃撃され瀕死の重傷を負った。急遽イギリスへ運ばれて1週間意識不明の後、漸く意識を取り戻し、治療が進んだ。マララさんの人生を変えた出会いは悲惨な内乱と、銃撃被災地の近くに偶々居合わせた英国人医師との出会いだった。

猿橋勝子さんは女性科学者のパイオニアだ。猿橋さんが高等学校を出た時、1940年代は女性の就職口が極めて限られていた。彼女は東京女子医専の吉岡学長のような医師を憧れたが、受験面接での吉岡さんの言葉に失望して、合格するも医師の道を放棄して偶々その後道でもらった「気象台研究所の女性募集」ビラを見て同研究所を志し就職。三宅さんという尊敬する上司との出会いも幸いした。1954年、アメリカが太平洋で原爆実験を行い、猿橋さんは海水中の放射能測定方法を自力で開発。その結果がアメリカの著名な研究者の測定結果より10~50倍高濃度だったことから、当の米人研究者が注目、猿橋さんを招いて両者の測定を公開比較することになった。結果は猿橋さんの方法が正確だったことが証明され、一躍彼女は脚光を浴びることになり、後に女性初の日本学術会議会員になった。猿橋さんの場合は、マイナスの結果になったが吉岡学長との出会いと三宅さんという尊敬する上司との出会いがその後の彼女を押し上げた。

中村 哲さんという福岡出身のお医者さんがアフガニスタンで1600本の井戸を掘り、25キロの用水路を掘って65万人の貧しい農民の暮らしを根本的に向上させたお話。教科書でも学んだと思う。中村さんは貧しい現地の農民との出会いが生き方を変えることになった。

出会いは人生を前向きにするようなものばかりではない。あのちゃん、黒柳さん、マララさん、猿橋さんたちは、それぞれつらい、困難な出会いに遭遇している。

人は様々な出会いを経験するが、長友選手は「これまで自分の身に起きたことで無意味なものは何もなかった」と言っている。長友選手も学生時代は試合に出られず、応援団の太鼓叩きをしていたつらい期間があった。

学生時代は経験する出会いが限られるかもしれないが、多くの出会いを得られる方法がある。

僕は朝日新聞3頁「人」欄を必ず読む。紹介されている人がどういう出会いを経て今の仕事で成功しているかが良く分かって興味深い。中学の図書室に朝日新聞があったら「ひと」欄だけでもいいから読むことをお勧めする。

「出会い」とは自分らしさを発見し、生き方を変えるきっかけのこと。人生は大きな出会い、小さな出会いの連続だ。

左上の写真は地震で被災した輪島市のメガネ・時計屋の木下さん。木下さんも店が被災し家族と非難して二日目、近くのパン屋さんが無料でパンを配っているとのこと。駆けつけて本当に8個入りの一袋をもらった。その時、木下さんの何かが変わった。「商売には儲け以外の世界があるのだ」と

衝撃を受けた。木下さんは店の掃除を始め、「無料でメガネを修理します」と宣伝を始めた。手持ちの時計を無料で学校の卒業生に贈った。そのニュースを知った大阪の時計屋さんから腕時計20本の寄贈を受け、卒業生などにプレゼントした。木下さんはパン屋さんとの出会いが人生を変えた。

出会いは出来事、人、本、新聞・TV・インターネットなど通して訪れる。もう一つ、自然も出会い源に加えなければならない。全ての科学者の教科書は自然そのもの。どんな草木や虫でも目を凝らし、耳を澄ますと必ず何かを語りかけてくるはずだ。科学者でなくても自然は豊かな出会いを与えてくれる。

人との出会いだけを考えてみると、その出会いは言葉、笑顔、人柄、考え方(思想)、生き方など様々な形でやってくる。

  

僕の最も強い出会いは海外でのことだった。日本では案外同じ考えの人が多いので驚くような出会いは比較的少ない。海外は文化の違いが強烈に出てくる。約束した時間に人が来ない、その時間に行っても相手の人は留守。そんなことが数回続いた。余ほど電話で「どうした?」と聞いてみようかと思ったが、「待てよ、裏に何かがあるに違いない」と考え踏みとどまった。電話しなかったのは正解だった。もし電話してアポに来なかった、いなかった理由を問いただしたら、その後まともな付き合いはできなくなっていた。つまり、エジプトの社会ではアラーの神様が第一。僕との約束を果たそうと思っていたけれど、急な別件ができたしまった。アラーはそれを優先するように促したに違いないと考え、僕との約束を結果的にすっぽかしたわけだ。

それ以来僕は「おかしいな」と思った時は、必ず理由があるに違いないと考え、直ぐに感情を高ぶらせないように心掛けた。あのできごととの出会いのお陰で、何事にもすぐに驚かなくなったと言ってもよい。

学生時代は出会いが限られるかもしれない。進んで出会いを求める方法をいくつか提案したい。

まず、新しいことに勇気をもって挑戦すること。失敗してもそれが貴重な財産になる。少なくとも挑戦しない場合より数倍の出会いを持つもとになる。

良い聞き手になること。話し上手でなくてもよい。むしろ聞き手の方が相手から中身の濃い話を引き出せる。よい質問が有意義な言葉との出会いを可能にする。まず相手の言うことを受け入れる習慣がつけば、数々の出会いが得られる。

本やTV,ネット情報など、溢れる情報洪水のなか、有意義な出会いをどうすれば得られるのか。

一つの方法は、日頃からできるだけ「なぜだろう、何だろう」を沢山持つこと。その問いを持っていると、向こう(本、TV,ネットなど)から答えが目と耳に飛び込んでくる。その用意がないとすべての情報が素通りして行くだけだ。

もう一つ加えると、「何事にも一生懸命にやる」のが意味ある出会いを引き寄せることが多いとも言う。信じるかどうか、どうでもいいけれど、有名な人たちでそう言う人がいる。経済界の稲盛和夫さんとかアメリカ人のカーネギー鉄鋼王など。「宇宙には人がうまく行くよう後押しする力が働いている(それが世のため人のためであれば)」と言っている。自然界は草木や大小の動物たちはそれぞれ一生懸命に生きているから美しく、細密の秩序が保たれている。

最後に自分らしさを発揮して輝くために、明日からできることを考えてみよう。

「**になりたい」を実現するには周囲の人たちの助けや協力が必ず必要だ。人々との交わりで大事なのは、「**になりたい」と同時に「どういう人になりたいか」の目標を描いておくこと。それがないとまずは失敗する。大谷翔平選手は高1の時、一流の投手になる目標と並んで「どういう人」になりたいか、具体的に表に描いていた。「礼儀正しい、感謝の心、思いやり、信頼される人間、あいさつ、ゴミ拾い、部屋掃除、・・・・・・」

僕の目標を短く言うと」爽やかで優しく、逃げず諦めず」だ。どれ一つとっても易しいことではない。

周囲の人から助けられ、協力してもらうためには、やはり日頃からその人たちへの心がけが大事だ。これもどれひとつとっても易しくはないけれど、繰り返し心がけると段々できるようになる。その心がけを易しい言葉で表すと「おはよう、おめでとう、ありがとう、ごめん、よろしく、どうぞ」という省略言葉になる。その精神を常に忘れずに小さな努力を重ねているといると、必ずあなたは輝く人になるはずだ。

これから中学で素晴らしい出会いがありますように!